連載企画〔丸山の歴史〕【第2回】
2026/03/07
2、丸山の始まりは江戸時代初期
―延宝2年(1674)頃に徳田與左衛門が開墾―
時代は、縄文・弥生時代から、奈良・平安、鎌倉、室町、戦国時代を経て、江戸時代を迎えます。この間の歴史の舞台は、京都をはじめ、名だたる合戦などは西日本が中心となりますが、関東地方においては、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた前後から、千葉氏や北条氏が台頭します。
船橋市周辺では、平安中期の歴史書に船橋大神宮の前身となる「意富比神」(おほひのかみ)の名前が見られますほか、平安末期には夏見・夏見台周辺に伊勢神宮の荘園となる「夏見御厨」(なつみみくりや)の記録があります。御厨とは、神にお供えする米などを調理する場所とされています。
私たちの住む「丸山」が初めて歴史の記録に登場するのは、江戸時代初期の万治2年(1660)または延宝2年(1674)とされています。船橋市のホームページによりますと、「丸山は、延宝二年(1674)に本行徳(市川市)の徳田與(与)左衛門が下総国葛飾郡道野辺村の谷津田に囲まれた台地を開墾し、丸山新田が出来ました」との記述があります。
江戸時代の房総には幕府直轄の広大な馬の放し飼いの牧場が置かれ、船橋市の台地にもその一つとされている「下野牧」(しものまき)がありました。「広大な牧で野馬を捕まえることは難しいため、野馬を追い込んで捕まえる場所=「込め」を作りました。これが「馬込」の語源となりました。「丸山」の由来は、その台地を付近の馬込沢から眺めると丸い山のように見えたので、そこから名付けられたといわれています」と書かれています(船橋市ホームページ)。
「17世紀後半になると牧場と周辺原野の一部が開墾され、畑作の農村が成立しました。前原、滝台、行田、上山、藤原、丸山、神保の新田(しんでん)村で、いずれも延宝年間(1670年代)に成立しました」(同)。
丸山4丁目にある駒形神社の氏子総代、徳田孝一さんによる「ふるさと、丸山」(『丸山町会60周年記念誌』)によりますと、「丸山の地は、豊臣秀吉の家臣片桐且元の家臣である高岡(現徳田)が、成田・武藤とともに摂州尼崎から、本行徳の長松寺に身を寄せた後に、開拓者として約350年前にこの丸山に入ったことが始まりである」、「当時の丸山は徳川幕府軍馬の放牧地となっていたようで、雑木が繁る原野であった」と書かれています。
なお、丸山には、5丁目に法典東小学校と4丁目に丸山小学校がありますが、その原点となったのは、江戸時代後期の文化8(1811)年に地元の篤志家・安川家が開いた寺子屋「安川舎」でした。明治12年に「法典小学校」に改称され、昭和42年に法典東小学校、昭和51年に丸山小学校が分かれました。
船橋市 丸山町会
所在地 船橋市丸山3丁目4番5
電 話 047(438)7172
